五話目
短いですが、かなりインパクトのある話しですね。京の北野あたりに木屋の助五郎とその母親が出会う怪異ですが・・・
現代語訳:五 木屋の助五郞が母、夢に死人を喰ひける事
京の北野あたりに木屋の助五郎という人がいました。
助五郎の母親は、極端にけちな性格で善行の志もなく、いつも薄いお茶を飲みながら他人の話ばかりをして、人の良いことを妬み、悪いことを喜び、来世への願いを少しも持っていませんでした。
ある日、具合が悪いと言って朝から寝ていたとき、助五郎が用事で早朝に一条戻橋まで行きました。
戻橋の下で、年老いた女が死人の体を引き裂いて食べているのを目撃しました。
よく見ると、その姿は自分の母親にそっくりでした。
助五郎は不思議に思い、急いで家に帰り、母親がまだ寝ていたのを起こしました。
すると母は驚いて起き上がり、「まあ恐ろしい夢を見たものだ」と言いました。
助五郎が「どんな夢を見たのですか?」と尋ねると、母は「一条戻橋の下で私が死人を引き裂いて食べている夢を見て、とても悲しくなっていたところをあなたに起こしてもらって、ほっとした」と話しました。
その後、間もなく母は病に倒れ亡くなったそうです。
母が今生から地獄に落ちたことを思い、来世のことを思うと助五郎は悲しみでいっぱいになりました。
その後、助五郎は出家したといいます。
所感
生き霊を大辞林で調べると
いき りょう 【生(き)霊】
生きている人の恨みや執念が怨霊となって人にたたるもの。いきすだま
となります。とすると、母親は生き霊ではないわけです。助五郎が最後に言っているように、今生から地獄に落ちた姿、と思いますが、その様から、餓鬼道が一番近いのでしょうか。
地獄・餓鬼道・畜生道・阿修羅・人間・天 の六道で考えるのであれば、確かに来世は人間ではなさそうですね。そういう意味では恐ろしい。
京都の一条戻橋は何度も建て直されて現在と江戸時代では大分違いますが、同じ所にずっと建て直されて現在も存在します。一条戻橋は不思議なところで、古くは安倍晴明などが生きていた延喜時代よりあるそうで、死者が生き返ったり、女性が鬼になったりと不思議な場所で、あの世とこの世が入り交じった場所として様々な伝説が残っています。
そういった背景もあり、怪談噺などが生まれやすい場所と言えますね。
参考書籍:
現代語訳ではないですが、ふりがなが振られており、単語の意味なども掲載されているので読みやすく勉強になります。