深淵探訪

これは友達の友達から聞いた話

都市伝説:メリーさん

「メリーさん」の都市伝説は、1970年代から1980年代にかけて広まりました。

この時期は、固定電話が普及していた時代であり、電話を通じた恐怖体験が多くの人々にリアルに感じられる要素として受け入れられました。また、怪談文化がメディアや口伝えで広がる土壌があり、「メリーさん」はその中で生まれた代表的な話とされています。

本来の名前は「メリーさんの電話」ですが、最近では、スマホで喋るよりチャットでのやりとりや、ビデオチャットが普通になってきたので、メリーさん、として内容も現代に合わせました。


メリーさん

ある女性の話。

就職を機に実家を出て一人暮らしを始めることになった彼女は、引っ越し準備のため荷造りをしていた。
持っていくもの、置いておくもの、そして処分するものに分けて整理していると、古びた人形が出てきた。

「懐かしい、メリー人形だ」と彼女は手に取り、昔を思い出して微笑んだ。
隣にいた母親も顔を覗かせ、「あら、本当に懐かしいわね」と共感した。

「でも、もう遊ばないしね」と彼女はぼろぼろになった人形を見つめ、「これじゃあ誰かに譲るわけにもいかないかな」と言って、人形をゴミ袋に入れた。

母親は少し不安そうな表情を浮かべ、「人形をそんな風に捨てて大丈夫? お焚き上げしてもらったほうがいいんじゃないの?」と忠告した。
しかし、彼女は軽く笑って、「祟りなんてあるわけないよ、大丈夫」と取り合わなかった。

1ヶ月後。
引っ越しも無事に終わり、新生活がようやく落ち着いた頃だった。夜中、不審な電話がかかってきた。

受話器越しから聞こえてくるのは、幼い子供のような声。「どこ?どこ?」と問いかけてくる。
しかし、彼女が何かを答える前に、電話はぷつりと切れてしまった。

その不気味な電話は何度もかかってきた。彼女は怯えていたが、どこかで聞いたことがあるような声にも感じていた。

ある晩、また電話が鳴った。
出るべきか迷っているうちに、電話は切れた。

ホッと胸をなでおろしたのも束の間、スマホにチャットの通知音が鳴った。
画面を開くと、そこにはこう書かれていた。

「どうして出ないの?」

彼女は震える指で返信した。
「あなた、誰なの?」
「忘れたの? 私、メリーよ。」

その名前に、彼女は愕然とした。
電話の声の正体――それは、幼い頃、一人遊びでメリー人形に想像で喋らせていた声だった。しかし、それはただの空想に過ぎないはず。実際に話せるわけがない。

「誰? メリーなんて知り合いはいないよ」
「今、○○駅の近くにいるの」
「どうして捨てたの?」

彼女は恐怖で手が震え、返信を打てなくなった。だが、次々とメッセージが届く。

「いいの、今から行くから」
「今、郵便局とセブンイレブンの前」
「見えてきた、もうすぐだよ」

彼女は玄関ドアを見つめた。チェーンロックはしっかりとかけてある。

「来ても入れないよ」
「捨てたのは悪いと思ってる」
「今、マンションの前にいる」
「ごめんね」
「xxx号室に行くね」

心臓が早鐘のように鳴り始めた。玄関から目を離すことができない。
遠くから足音が聞こえてくる――だが、それは途中で消えた。ドアは開かない。

「なんだ、いたずら?」
彼女は自分にそう言い聞かせた。その瞬間、あの声が響いた。

「ここだよ」

視線をスマホに落とした瞬間、彼女は凍りついた。
スマホがいつの間にか、あのメリー人形に変わっていたのだ。

短い悲鳴と共に人形を床に落とすと、人形がゆっくりと笑みを浮かべる

「ずっと、一緒にいてね。」


まとめ

人形の怪談と言うのは、世界中で語られるもので、有名なところだと「アナベル人形」がありますね。

現代でも、髪の毛が伸び続ける人形が話題になったりと、「人形には魂が宿る」と言うのは、古今東西共通のもの。

特に日本では、「物にも魂や神様が宿る」というアニミズム(自然物や無機物に霊的存在が宿るという信仰)が古くから信じられている為か、物を大切にする精神と、ぞんざいに扱うと悪い事が起きる、と言われて育つ為か霊的なものを信じなくとも、大切に扱う方は多いと思います。

まぁ、お焚き上げまでしなければ追いかけてくるのはちょっととは思いますが、「物に神様がいる」という考え方は、日々の生活でも考え方を取り入れることで物や人に感謝し、より丁寧に生きる姿勢が養われるので、大切にしていきたいものです。

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