1970年2月3日に東京都渋谷区の東急百貨店西館1階のコインロッカーに赤ん坊の遺体が遺棄されているという事件がありました。
前後して、全国で同様の事件が発生し、社会問題になったという背景があります。
コインロッカーベイビー
ある女性の話。
彼女が10代の頃、予期せぬ妊娠が発覚した。周囲に相談することもできず、一人でその事実を抱え込んだまま臨月を迎えた。
小柄な体型でお腹が目立ちにくかったこと、さらにゆったりとした服装で妊娠を隠していたため、誰も異変に気づかなかった。
そして、誰にも知られず彼女は出産を迎えた。
出産の痛みと疲労が彼女の心身を蝕む中、生まれたばかりの赤子を前にした彼女は、深い葛藤に飲み込まれた。まだ子どもだった自分が、この命を背負う覚悟も力もないことを痛感していた。そして、彼女は赤子をおくるみに包み、深夜、人気のない駅前へ向かった。冷たい夜風が吹く中、駅のコインロッカーの前でしばらく足を止める。
「ごめんね……」
声にならない言葉を呟きながら、彼女は赤子をロッカーの中に入れ、鍵をかけた。そして振り返ることなくその場を離れた。
自室に戻った彼女は極度の疲労から倒れるように眠り込んだ。目を覚ましたのは丸二日後のことだった。喉の渇きに水を飲み干した彼女の胸に押し寄せてきたのは、罪悪感と後悔だった。
「警察に行こう……」
彼女は震える足で駅へ向かった。我が子を連れ、すべてを告白するつもりだった。冷え切った空気の中、彼女の心臓は早鐘のように鳴り響いた。そして意を決してロッカーを開ける。
だが、そこに赤子はいなかった。
「……どうして?」
鍵をかけたはずのロッカー。中には何も残されていない。ただ、冷たい空洞が彼女を迎えるばかりだった。
それから5年の歳月が流れた。
赤子の行方はわからないまま、彼女は罪悪感と共に日々を過ごしていた。それでも少しずつ生活を立て直し、過去を抱えながらも前を向き始めていた。
ある日、久しぶりに故郷の街へ戻ることを決意した。すべてが幻だったのではないかと思えるほど、駅前の景色は変わっていた。それでも、あの日の出来事だけは消えることのない現実として彼女の胸に残っていた。
彼女は百合の花を手に駅前のロッカーへと向かった。
そこで、ひとり泣きじゃくる子どもを見つけた。行き交う人々は誰一人としてその子に目を向けない。不憫に思った彼女はそっと声をかけた。
「君、大丈夫? どうしたの?」
子どもは涙で濡れた顔を上げ、嗚咽を止めた。
「お家の人は?」
「ここで待っててって……」
「いつまで待つの?」
「もう、来たから大丈夫だよ」
彼女の体に冷たいものが流れ込む。体が動かない。
その子供はゆっくりと顔を上げて不気味な顔でこう言った
「お前が母親だよ」
ブログでは、内容を変えず紹介しました。が、YOUTUBEの方は変える予定です。もちろん、教訓的な意味として、遺棄を行う事に対して罰があるということでのストーリーというのは、認識していますが、毎回、うーん、と思ってしまいます。
時代的な背景もあるのとは思いますが、こう言った事件で悪く書かれるのは女性だけというのは、思うところがあります。もちろんやってはいけない事ではあるのですが、そうならざる得ない状況になるのは男性側の問題もあり、取り巻く環境でもあるはず。男性も呪われんと釣りが合わんだろうと思ってしまいます。